知っているのに知らんぷり:ネットの徘徊物


干からびたスカスカの「kokoro」のスキマだらけ。

知っているのに知らんぷり。

出来た大人ばかりの社会なら、

「知っているのに知らんぷり」で、世の中丸く収まるもの。

「見てみぬふり」をするのも、大人社会の出来た人間のなせる業。

人間の器とは?

出来た大人なら、「大人になれない大人」に対しても、見てみぬふりをする。

しかし、「大人になれない大人」には、大人社会の思いやりなど理解できんらしい。

己のことは、知らんぷりは出来ても

他人のことは、知らんぷりができん。

口を出さねば我慢ならん。

「病膏肓に入る」の入り口だ。

こんな言葉があった。

「重箱の隅を突く」「箸の上げ下げまで気に入らん」

卑猥で矮小で、オマケに・・・やめておこう。

気色悪いものに触れることの瞬間に、吐き気を催すほどの醜さ。

1つの社会の中で引寄せられたその汚いものに、己の、心の底から湧き上がる憎悪。

おのれの生命の中から心を通し、憎悪の念がメラメラと立ち上がる。

憎悪。

そして、嫌悪。

その憎悪と嫌悪は、己の弱さの証明。

愚か者の生命に対する憎悪に、己の中の愚かがにょっきりと断ち切ることの出来ない本性を現す。

噴出するその憎悪と嫌悪は、更に、憎しみを増す。

ありとあらゆる方法で、その汚い感情の捌け口を、愚かな生命で探そうとする。

連鎖。

マイナスは、プラスの中の汚い本性をさらけ出す。

鏡。

汚いものに触れれば、己の中の汚いものが、ゾロゾロト蠢き始める。

蠢き始めるのだ。

そして、止めをさそうとする。

己の中の誇りと正義が、己の生命の中で、悪魔に変わる瞬間。

己とは、いつでも悪魔になれる。

常に感情と冷静のハザマで揺れている。

そこに理性がついていけなくなる。

己の生命の中の悪魔を呼び覚ますもの。

決着を誓う瞬間。

人間とは、間違うもの。

人間はどこまでいっても人間だ。

間違うから人間なんだ。

人間なんだ。

だから生きるんだ。

精神を養う肥やしの足らん物。

人格を備える為の器を持とうとせぬモノ。

持たぬもの。

最近まで聞いたような、人格や品格という言葉など絶滅語。

それに変わる新語が必要だな。  

おのれ以外の人間に対する憎しみ、おんしつ、嫉妬は、大凶。

大凶とは、死。

おのれ以外の人間を苦しめるつもりが、おまえ自身を苦しめること以外のなにものでもない。

こんな言葉がある。

「死して屍拾うものなし。」

「死して屍拾うものなし。」

あぶない、あぶない。

こんな言葉もある。

「人を呪わば穴二つ。」

ノミの心臓程度の持ち物では、寛大という心の置き場所などあるはずが無い。

欺くための卑怯の悪知恵だけは人並みに働くくせに、毛さえ生えないちんけなノミの心臓。

でも、みんな、なんだかんだ言っても、一生懸命生きてる。

人間が生きているということだけで、前向きだ。

己の死という墓場へのゴール向って恐怖を刹那でごまかしながらでも行進しているのだから。

死への行進だ。

今、「生きているだけで丸儲け。」

もひとつこんな言葉もある。

「馬鹿も利口も命は1つ。」

死んだら終わり。

ドンマイ、ドンマイ、ドンマイ。

必要なものは、羞恥心。

恥を知れ。

ネットの徘徊物、カスカスの「kokoro」のスキマを埋めなよ。

※この記事は、一度、不掲載(不掲載の理由→お知らせ) に致しましたが、一定の期間を経て熟考の末、再掲載させていただくこととしました。記事の内容に関しては、具体的な名称などには、一定の配慮を加えてあり、私の中で感じた、今、その瞬間の事実であり、個人の自由な思想と信条に基づき未熟な人間として感じることでもあります。事実である表現を隠すということは、自身を否定することになります。また、記事によって誰かを否定するということではありません。このようなことから、公開することになんら不都合は無いという判断に至りました。読者が不愉快な思いをされるようなら、今後、当ブログをスルーされることをおすすめします。



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