アーユー・ハングリー?

がむしゃら “I’m hungry!”

『アーユー・ハングリー?』

むかし、そんなCMがあった。

ハングリーな精神。

「腹ペコかい?」

本当に必要な腹ペコを感じることの出来ない不幸。

しかし、不幸を引き寄せる「はらぺこ」だけは、感じ取る愚か者。

心の貧乏。

「貧する」ことは、大切な何かを呼び覚ますための、心のもっと、もっと深いところにある、その先に繋がる入り口を探そうとするための、人間が生きようとする「渇望」と「葛藤」を生む。

「生命」の扉を開き、その明かり灯す為の、心の深いところに至る渇望と葛藤。

『アーユー・ハングリー?』

「いぇす。あい・あむ・はんぐりー。」

どこまでも強く前向きに生きる生命を持つものにとっては、願ってもないチャンスと映る。

それは、嘘でも、痩せ我慢でもない。


「がむしゃら」な心。

心の中に「がむしゃら」を、「生命」によって掘り探す。

「がむしゃら」を掘り起こす。

そして、その「がむしゃら」な精神と心で突き進む。

その「がむしゃら」は、心と生命の繋がりを更に増す。

「がむしゃら」な心は、行動を生み、知識を探し、そして、更に求める。

その「がむしゃら」によって得た知識は、生命に届き、知恵を生む。

知恵を創る。

その知恵。

生きる知恵だ。

なにものにも変えがたい、己の求める哲学と思想によって、その「がむしゃら」で得られた最高のご褒美だ。


『飽食の時代』といわれ続けて、久しい昨今。

その飽食は、飽「飾」でもある。

無駄に、無意味に飾る、たった、ほんの、わずか、5グラム程度の重さの、中身のない「張りぼて人間」を作り上げる。

何かに溢れた時代を生きることは、大切な何かを干からびさせる時代。

更に進めば、干からびてしまった大切な何かを感じ取ることの出来るアンテナさえも、もぎ取られて、それぞれの人生において、負の進化の時代(人生)を突き進む道。

私の人生にとって、飽食(飾)の過去は、今思えば、天国でも何でも無かった。

見えるものの贅沢にうつつを抜かす日々との引き換えに、気がつかぬその裏では、心と精神が病む、地獄への坂道を転げ落ちる毎日でもあったのだ。

天国や、地獄は死んだあの世にあるのではない。

生きるこの世の人生で、天国と地獄の双方を垣間見ることができる意味。


人間には、荒療治が必要だ。

アーユー・ハングリー?

「腹ペコかい?」

「本当に幸せに生きる為の大切な【もの】への欲求を感じているかい?」

「心は、本当に満たされているかい?」

己の限界の壁を打ち破るための確かな哲学と思想は、荒療治のための最高に厳しい試練を、求めれば求めるほど必然的に与えてくれる。

死ぬのか生きるのか?

そんな限界の心の境目で、ハングリーな「がむしゃら」を呼び起こす。

“I’m hungry!”

勿論、生き続けるさ!

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

桜梅桃李 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-
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