完全燃焼

『妙とは蘇生の儀なり』

完全燃焼

結果に拘らない結果。

その結果を、見える形にするために必要なもの。

完全燃焼

中途半端に不完全燃焼で終わるから、見える結果に拘る「いじけた」生き方を選択する羽目になる。

いじけるな。

結果を怖がるな。

結果に拘る、いじけた生き方を強要する社会。

そんな社会に対する反骨精神。

完全燃焼のための哲学。

しっかし、こんな訳のわからない能書きばかりを延々とネットで垂れたところで、現実にどっかと腰を下ろして生きていなければ、無意味で、無価値な人間に等しい。

所詮、負け犬の遠吠え。

そんな言葉を誰も信用するはずが無い。

もう、そんなところから卒業しよう。


現実は、未来に私の望む姿を刻むために、今を、完全燃焼出来るかどうかを試されている。

己の心の強さと生命の現在地を確かめるための作業とその「点」。

人生は、「今」という「点」の集合なのだ。

線に見えてもそれは、「今」という「点」で出来ている。

目に見える結果など、単なる選択枝の一つに過ぎない。

決まった選択肢のその先を進めばいいだけだ。

合否の結果や、○や×など、右か左のどちらかの選択肢と同じこと。

○であろうが×であろうが、合格であろうが不合格であろうが、その先には、常に道が開けているのだ。

辿り着くゴールは1つに決まっているのだ。

完全燃焼とは、この瞬間に、今もてる力の全てを発揮できるかどうかだ。

その瞬間に全ての結果はもう、既に決まっている。

願い事の効果も、もう、そこまでだ。

「まさか」や、「棚ぼた」を望む「他力本願」は、己の完全燃焼できない生き方の弱さを露呈していることにしか過ぎない。

そんなことじゃあ、「棚ぼた」の借金のつけは、先の未来の人生で、きっちりと払わなければならないことになるだけだ。

そんな他力本願の自己不在の人生を歩むことよりも、今、この瞬間を完全燃焼することの出来る哲学を求めるべきだ。

一体、人生において、必要な時、その瞬間に己の持てる力を発揮できなければ、生きていくことに何の意味があるというのだろう。

必要な時、今、この瞬間に力を発揮出来ない人生よりも、今、この瞬間にもてる力を発揮することの出来る人生が良いに決まっている。

人生を振り返った時に「後悔」が無い。

現在に全ての力を発揮できる生き方は、全ての結果を幸せのための選択肢に変えることが出来る。

あきらめない人生。

(意志)の上にも3年』。

妙とは蘇生の儀なり』、今を生きる「完全燃焼」の哲学。


・人生に「まさか」の坂は無い

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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