自問自答

建設は死闘、破壊は一瞬

 愚人が愚人を誉める社会後述記

間違った世の中を批判することに意味があるの?

世の中と社会を批判することなんて、一番簡単なことで、一番卑怯なことではないの?

己の肝心なことは棚にあげて、世の中を非難や中傷、偉そうに批評家気取り。

「傲慢」と謙虚。

世の中を批判する「傲慢」さこそ、私の中の「愚人の象徴」ではないのか? 

たとえ、世の中、総愚人化の世の中であったとして、己が愚人になりたくなければ、愚人社会を批判することなど、まだ、100年早い!

この世をもう一度、出直してきてから語ることが望ましいのだろう。

謙虚さを失えば、築きあげたものが、ぼろぼろとこぼれ落ちる。

己の心の強さを磨く生命の、『建設は死闘、破壊は一瞬』。

こんな記事を書くことの出来る己の未熟さというものは、本当は、救いがたい人間を映し出しているのかもしれない。

未熟であるものが謙虚さを失えば、何が残るというのだろう?

何を「建設」するというのだろう?

己の哲学は何のために存在するというのだろう?

破壊は一瞬』。

まさにその通りだ。

積み上げてきたものなど、心の一瞬の隙を狙っている「魔」によって、確かな生命を築き上げてきた「階段」を全て破壊してしまうことなど簡単なことだ。

己の現実を生きる人生に、平坦な道があると思うことは、もう、既に、破壊につながる坂道を転げ落ちているということと同じなのだ。

己の人生を生きることに、油断も隙もない。

「油断」と「隙」だらけの人生だったじゃあないか?

自らその「原因と結果」の人生を送ってきたことのその「本質的な原因」とは?


その油断と隙を作らないために、己自身を批判せよ。

己自身を批判する哲学を持て。

自問自答。

三歩進んで二歩下がる。

そんな傲慢は許さん。

三歩進んで三歩下がる人生だと思え!

油断と隙を作らないためには、これでいいのだ。

何の取り柄もない、傲慢が取り柄だけのお前にはそれで十分だ。

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

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