【傲慢】:猿にでも出来る世の中の批判をする傲慢社会


所詮、批判なんて無責任そのもので、批判されるターゲットの本当の胸の内などコンマ以下も理解しているはずなど無いのである。

批判とは、「いじめの原理」とさも似たり。

批判されたものの胸中を推し量ることなど、その当人が自殺をしたところで、その批判したもの達は知らん顔して何も無かったかのように、批判をしたことの事実は死者とともに葬り去られる。

いじめは、いじめたものが絶対に悪いと確かに「右へなれ」はできても、ネットでの批判は批判されるものが悪いとやりたい放題の袋叩きか?

ネットではついさっきまで、袋叩きにされていたものでさえ、立場が変われば、その仕返しとばかりに、言いたい放題か?

あきれる。

人間は、アホの集団とアホの集団がいれかわっているだけじゃあないか?

アホとアホがいる社会は、アホ全体社会。

この世の社会は、や(殺)るか、や(殺)られるかの社会か?


思いやりとは何だ?

思いやりが必要な哲学とは、どこにある?

己の意見が、その他大勢の意見を集約しているなんて事を少しでも代弁しているなんて事を思うなら、どれほど迷惑なことであろう。

迷惑な発信を続けることの愚かな行為の無責任の結末は、その当事者は夜逃げして、罪の無いものが責任をかぶせられる。

「猿にでも出来る世の中の批判」。

言いたい放題の垂れ流しの世界。

それは、ネットそのものだ。

「猿にでも出来る世の中の批判」。

そんなことを書けば、人間より偉い猿から批判がくるかもしれない。

「猿さん、ごめんね」。

アホな人間社会の愚かさを冷静に見つめて、その批判の反省なんて猿にでも出来る

「やっぱり、ごめんね」。

己の無責任さを反省。 m(__)m

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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