心の絆を生命によって固く結ばれる結哲学:報恩

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人間の現在と未来を生きる不安と恐怖に耐え、気丈に振舞う気高き人。

人間の弱さの欠片も見せる事のない、人間としてこの現実を生きる強さ。

それは、与えられたものではない。

自らが勝ち取った宝。

その宝によって、生きている。

その人はどんな境遇であっても、絶対に弱音を吐かなかった。

その気高さは、苦しいときほど、きっと涙を見せまいとする笑顔の中に、今にもゆがんで崩れそうになるのをどうしようもないほど耐えに耐え、零れそうになる涙を、更にぐっと堪えに堪えていた。

それなのに、その笑顔に人間としての弱さのままの私は、ぼろぼろと悲しい同情の涙を流すだけの情けない自分だった。

我慢に我慢の人生。

辛抱に辛抱の人生。

強靭な精神。

こんなに強い人だったなんて。

私には、想像も出来ない過去の苦労を背負って生きてきたことを確信する。

こんなに凄い人が、私のそばにいたなんて、今更ながらにその人の笑顔に隠された耐えに耐えた壮絶な戦いの過去。

そこから溢れる笑顔の価値は、量ることなど出来はしない。

己のどん底で、本当の本物の価値を知る。

それこそ、私に今、与えられた最高の宝。

それは、その宝を知ることの出来る生命によって、その相手の苦痛と、耐えに耐えた壮絶な過去を、私の心のスクリーン一杯に涙とともに映し出してくれる。

己のどん底という、その猛烈な波は、私の鈍感な心に対して、生命に届けとばかりにかき回す。

愚かな人生を歩むことに、必然の意味を感じるその底で。

鈍感な人生。

そのどん底でしか気づくことのできない深い、深い宿縁。

こうして、何度も、何度もあの人の笑顔が、私の溢れる涙となっては、その心の本物の強さを映し出し感じさせてくれる。

それは、生命の中で感じている出来事なのだろうか?

感じる生命によって、私の心に、その笑顔に隠された本質が、何ものにも変えがたい宝として映るのだろうか?

相対するものの中に感じるその人の絶対的な生命から滲みでる、その苦痛と耐えがたい過去を背負いながら、太陽の如き慈悲に溢れた笑顔。

そんな笑顔は、私に絶対に不可能。

そんな笑顔に、私は感謝の涙しか流すことが出来ない。

最高の感謝なのだけれど。

必ずその恩に報いたい。

でも、ありがとうなんて言葉では、意味が無い。

生きる。

供に生きる。

命ある限り。

生命の絆を更に強く結ぶ哲学。

桜梅桃李。

今を生きる。




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