嘘つきは無知なる傲慢:信仰とは


現実を生きる信仰に、妥協することは許されない

人間が現実を生きることに、妥協は必要。

それが、その時、その瞬間の、「今」と言う現実を生きる人間の知恵。

人生を生きる前向きな知恵。

無理を承知のごり押しなんて、時代遅れの野蛮人。

しかし、人間が生きるために必要な、己の信仰心を開くための信仰を伝える宗教に、妥協は必要ない。

そして、妥協は許されない。

理解できない事を知ったかぶりする事は、絶対に許されない。

信仰を伝える宗教にたいして、己の中で絶対に妥協をしてはならない。

己の信仰心に嘘をついて、信仰を伝える宗教を信じることはできない。

己の信仰心の中にないものを、あるといえる人間。

嘘つき。

それは、己自身の中の信仰心に妥協を持ち込む、似非信仰者に他ならない。

嘘に嘘を重ねる人生。

生きることにおいて、嘘を重ねてきた人生。

その嘘つきが、己の信仰心においては、嘘はつかなかった。

宗教という信仰者の中にいる、己の信仰に対して嘘を付く者。

己の信仰心を染めることなく、宗教に染まり、嘘つきになる者。

己の中の信仰心を開く以外のなにものでもない、己が信仰している宗教に対して、無駄と無意味以外のなにものでもない嘘を平気で言えるもの。

己の信仰に対して、己の中の信仰心に無いものを、平気で嘘で塗り固めることのできる者の哀れさ。

一体、誰のための宗教なのだろう?

誰のための信仰なのだろう?

不幸に、不幸を重ねるための信仰を求める姿の、信仰心を開けない信仰者の振りをするしかない似非信仰者。

宗教に染まり、似非信仰者の道を歩むもの。

どこまでも、どこまでも、己の宿業に振り回される、操り人形の無明なる人生。

愚かさ。

その愚かさにさえ気がつく事の出来ない、更なる愚かさ。

それは、無知なるゆえの傲慢と言えるのかもしれない。

人間が、宗教の中で、その信仰を保つ者の姿に見える信仰心。

人間の持つ、どこまでも、どこまでも、限りない生命の浅さ。

人間の持つ、どこまでも、どこまでも、限りない生命の深さ。

そのどちらかに突き進むのかを決めるのは、自らの中にある信仰心以外のなにものでも無い。

信仰とは、外にあるものでは無い。

己自身の中にしか存在しない。

己自身の中に、絶対的な【もの】として、確立させ続けていくものである。



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