人を呪わば穴二つ:共感と理解と寛容性


人を呪わば穴二つ。

先日、職場の同僚が、勤務中に「ぎっくり腰」になった。

何かの拍子に、突然、襲われたぎっくり腰の痛みに、棒立ちの状態で、しばし座ることもできず、歩くこともできず、激痛で顔をゆがめて苦しそうに訳を説明している。

勤務を終える直前の出来事で、私はその同僚の介抱をする羽目となり、ぎっくり腰の激痛によって自力で帰宅することも不可能であることから、車で自宅まで送り届けることとなった。

翌日、上司より、ぎっくり腰の治療に専念するため数日間、休むことを告げられた。

その同僚は、熱血漢で正義感が強く、仕事上、何かと親切に世話になっており、課の中ではキーマンとなるリーダー的な存在でもある。

しかしながら、その熱血ぶりと正義感の強さから、そりの合わない上司との対立が甚だしく、仕事上の問題が持ち上がるたびに、その上司を批難し、そのたびに、何度となく悪口を聞かされる。

この同僚の熱血と正義感ぶりによって、職場の多くの人から人望もあるのだけれど、その反面、突っ走りすぎて、そのよい部分が裏目になることも多い。

自分は間違っていない。

あいつのやり方は、おかしい。

人間というのは、誰でも自分を信じるという思いが無ければ、世の中、世間というものに自分という存在が薄くなって、呑み込まれて行き、現実を生きることが辛くなる。

それはそれでいいことなのかもしれない。

自己主張、自己顕示、我を張る。

でも人間、無くて七癖。

誰にでも良いところもあれば、悪いところもある。

欠点と美点、弱点もあれば利点もある。

人間の器。

あまりに「俺が、俺が」とすべて自分が正しいと信じすぎると、人を理解するための心の融通が効かなくなる。

この人は、いい人なんだけれどね。

でも、その上司を見ると嫌なところばかりが見えるらしい。

それではだめなんだ。

そんなところを変えようと努力すれば、人間として磨かれていくではないかと思う。

人間の器。


人間は、みんないい人なんだ。

そういう私の中の思い。

そう思うことが、私が自分らしく生きていくことの選択に、心地良い。

それが私の人間社会の中で、今を生きていくための方法。

ぎっくり腰で、激痛に顔を引きつらせながら自宅まで送り届けた同僚から、その日、わたしは、対立する上司の不満と悪口を聞かされた。

聞かされた不満や悪口に対し、軽く笑って受け流したものの、あまり気分の良いものではない。

かと言って、そのことをあからさまに同僚に指摘すれば、角が立つ。

また、その上司に対する不満や悪口も、大方、的を得たもので理解もできる。

しかし、その上司にも当然、良いところもある。

「人を呪わば穴二つ」

次の日、同僚に電話で様子を聞きながらそんな言葉が浮かんだ。



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