人と人の間を生きる人間

「トイレの神様」っ?

ってなんだろう?

でも、その曲をきいて、「あ~、この歌だったのね」と思った。

大切なおばあちゃんとの思いでを、

とても素直で素敵な歌詞を、とても素敵で素直なメロディーに。


その歌を聴いて、とても素直に感動した。

まるで私の思い出のように、映像がうかび、涙が自然に溢れてはこぼれた。

トイレには、それは、それは、きれいな女神様がいるんやで。

だから毎日、きれいにしたら女神様みたいに、ベッピンさんなれるんやで。
 

(トイレの神様:歌詞より)



人間として生きたおばあちゃんの知恵。

心を磨くための知恵。

ベッピンさんの心。

汚いトイレを磨くことは、人間の心を磨くことになるんだよ。

苦手なことも、嫌いなことも、好きになることが出来る。

人間には、その方法を導き出す知恵がある。

人間には、人間にしか導き出すことのできないものがある。

思い。

人間の人間に対する目には見えないその思い。

その思いを伝える。

知恵と英知。

それが人類にとっての財産。

今を生きる。

そして、未来を生きる。

人間が、人間を生きることを強いられる社会。

人間が、現実を生きることは、社会を生きること。

人間が、社会を生きる。

社会で生きることを強いられる人間。

その場所で。

世の中の社会や世間。

そこに組み込まれるパズルの一つとして生きることを強いられ続ける人間。

人間。

大人として、

社会人として、

自由人として、

日本人として、

地球人として、

人として生きる人間。

私は人間。

人として生まれ。

人を生き。

人として死んでいく。

その間を人間として生きる。

人と人の間を生きる。

泣いて、笑って、また、泣いて。

人生。

だって人間だもの

だから人間だもの。


トイレの神様/植村花菜


・関連情報
[紅白歌合戦]植村花菜「トイレの神様」ノーカット NHKも「フルで」と太鼓判(2010/11/25)

【名字の言】人生を確かに生きるひとしずく

本因妙・今を生きる | Trackback:(0) | Comments:(4) |-
コメント
人間の姿を私達は人間だと思っていますね。
それは間違いない事ですが、その人間の思いが無くなると、人間はロボットになってしまう。ロボットにはコンピューターが搭載されていますから考える事が出来ますが、思う事は出来ません。人間は考える事と思う事が出来ます。何をどのように思うか、その時冷静になって思う事が出来れば答えも正しく導き出せます。この思う心を信じられるかどうか、それがポイントでしょうね。
2010-11-27 土  09:51:22 |  URL | カメさん #- [編集]
思うことを、自身が現実を生きるための「信念」に変える。

その思いを信念に変えるためには、一念が必要であり、その一念の炎を燃やすためには、執念が必要である。

執念とは、「思い」を「あきらめない」という思い。

信心とは、そんなところにあるのかなあと感じます。

>人間は考える事と思う事が出来ます。
>何をどのように思うか、その時冷静になって思う事が出来れば答えも正しく導き出せます。

思いという感情が、冷静さを失わせ、理性によって考えることを邪魔することによって、正しい答えに向かうことから遠ざかる。

理性と感情に冷静さを取り戻せることのできる信心。

「人間は、考えること(だけ)が出来る。」
「人間は、思うこと(だけ)がが出来る。」

人間が「思い悩む」ということは、自分の中の「思い」について「考え」ているように感じるのですが、でも、悩むという状態は、冷静な状態ではないのかもしれませんね。

そこに必要なものが、信心なんでしょうか。

でも、それが正しいかどうかというのは、人それぞれの信心の中の思いだけでしかないのかもしれないとも感じます。

今を生きることの選択に、正しい答えがあるのでしょうか。

正しいと信じるから正しいという、その思いでしかないというようにも感じます。
2010-11-27 土  10:51:54 |  URL | バン #- [編集]
肉体は乗り物で、自分はその乗り物に乗って運転している運転手なんだと言う事で、自己が確立されたのですが、この分別論で言いますと、思うは運転手の心で、考えるは肉体の機能なんだと言う事に成ります。
人間は一体的な生き物ですから、人間の世界では分別論では分裂症になり、物語は成立しないが、信心の世界は、神になる、仏になると言う宗教の世界ですから、物意識が消える事によって悟りが開かれると言う事になるでしょう。自動車を語る時、人と車を一体的に語ります。でも人は人、車は車。
人の世界と車の世界は異なりますね。
あの世とこの世は異なりますが、一体的に成る事で生と死はつながります。
先日、四季桜の情報を得まして、見に行こうと思いました。思わなかったら行く事は無いですが、思ったので車に乗って言って初めての感動を味合って来ました。
秋の紅葉と春の桜が一緒に観られる感じで、感動したのですが、四季桜で検索すると情報が得られます。
2010-11-30 火  22:28:01 |  URL | カメさん #- [編集]
おはようございます。 

四季桜。

検索で調べてみました。

桜にもいろいろな個性を持つ桜があるのですね。(^^♪

>思うは運転手の心で、考えるは肉体の機能なんだと言う事に成ります。
>物意識が消える事によって悟りが開かれると言う事になるでしょう。

> 人間は一体的な生き物ですから、人間の世界では分別論では分裂症になり、物語は成立しない

人間を物の存在として、この世に人間が生きる道理は、語れます。
でも、私が思う、信心の世界の話は、肉体と心を一体として持つ人間の中で、その価値を、現実社会を生きる「今」という瞬間に発揮させることが出来なければ何の意味も無い。

人間は、ものとして生きることは出来ない。
人間は、心だけで生きることも出来ない。

心と肉体は、不二の存在である。

それが人間。

現実の生活の中では、「肉体で考える」ことを実行するには、「心の思い」が必要である。そこに信心によって、「人間的な」成長という変化が伴う。

そんな風に思います。
2010-12-03 金  09:47:42 |  URL | バン #- [編集]
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