創価学会員の「コピぺ」信仰

創価学会の団体の機関紙である聖教新聞。

その中の「名字の言」というコラム。

そのコラムの内容を「コピーペースト」をして、そのまま貼り付けてブログなどに掲載している人がいる。

私も、以前、「コピペ」をしていた。

「コピペ」をしてそのまま貼り付けるだけ。


「一体、この人は何をしたいのだろう?」と思う。


「何を伝えたいのだろう」というよりも、

「何をしたいのだろう」という強い疑問が湧く。

ただの「コピペ」。

創価学会の宗教団体に所属している創価学会員ということを前提に。

大切なものを、ただ、垂れ流す。

「ただ、垂れ流す」ことに一体、当事者の信仰心を映し出すことはできない。

コラムの執筆者達が、この500字ほどの原稿を書くために、創価と己の信仰に思いを馳せながら確かな哲学に基づく作品を書き上げることに苦労をされていることだろう。

その「名字の言」を、創価学会の会員であろうブログなどのウェブサイトを運営する者は、「たった、1分のコピペ」でその根底にある大切なものを宣伝しようとする。

そこに自分の言葉は何にもない。

他人を思いやる利他、慈悲の信仰を仰ぐ仏法を根幹とする創価学会の会員であると自負するのであれば、自らの信仰心に問いかけることをしないような自身に対してそして、他人に対して無慈悲な行為は止めるべきだと感じる。

他人の物を借りるのであれば、謙虚に、敬意をはらい、しかるべき方法で、マナーを守る。

そんなこともできないような人間が、創価学会員と名乗り、創価学会を宣伝するようなことは、誰人にとっても信仰上、有益なことは無く、害ばかりが増える。


単なる「コピペ」だけでは、その人間の信仰まで「コピペ」信心であるかのように思える。

己の中に、本当の自身の宗教を開く自己を確立するための信仰心というものがあるのかどうかを、常に問うていただきたいと願う。

信仰とは、一人ひとりの中に築き上げられていく、唯一のものであり、人間の心の奥底のを生命を感じることのできない「コピペ」信仰で得られるものではない。

せめて、「名字の言」を転載するのなら、そこには、きちんと自身の信仰と哲学に基づく感想や意見を述べるべきであると感じる。

何も感じることが無いのなら信仰心が無いのと同じ。

「コピペ」だけで創価の宗教を盲信するだけで、本当に一人ひとりの人間革命という自己確立の集大成をなすこと出来ようか?

己の信仰心に対する誇りを持とうとするのならば、行動、振る舞いを改めるべきであるし、必然的に成すべきことに気がつくはずである。

信仰とは、全部、自分自身できまる。

創価学会が自分を変えるのではない。

自らが変わる以外に、信仰に基づく確かな哲学を確立できることなどありえません。

インターネットは人類にとっての大きな財産。

わたくしにも言える事なのですが、正しい信仰、宗教団体を名乗り宗教活動のほんの少しの役目を果たさんと願うのであれば、他人の物を横取りしコピペしてそれが、自分の信仰心の証だというのなら、それは、創価を汚すことにつながり、正しい信仰を歪ませることにもなる。

インターネット上には、ゴミもたくさんあります。

宝を拾うのか、ゴミを拾うのか。

宝を買うのか、ゴミを買うのか。

それは、全部、パソコンをクリックする指先からつながってる心ひとつ。

全部自分自身の自己責任。

せめて、我々は、創価と名乗る以上、信仰上のゴミを増やさないという己の根本の中の宗教的な意識が必要なのではないでしょうか?

人間として。

創価であると同時に全ての同じ人間として。




創価 | Trackback:(0) | Comments:(2) |-
コメント
私は創価学会員です。
「せめて、「名字の言」を転載するのなら、そこには、きちんと自身の信仰と哲学に基づく感想や意見を述べるべきであると感じる。」
まったく私も同感です。自身の信仰と哲学に基づくことは難しいかもしれないあけど、感想や意見は必要だと思いました。

ちなみに、私は創価学会が大好きです。いろんな人がいて、色々ありますが、私は何度も学会員に助けていただきました。

突然の書き込み、失礼しました。
2011-08-24 水  15:54:18 |  URL | 松元 保 #- [編集]
ありがとうございます。(^^

わたしは創価が大嫌いでした。また、創価を憎んだりもしました。それだけ思いはひとしおなんです。でも、今感じるのは、感謝です。報恩感謝のまことを尽くす。

わたしは、創価学会員だからと言って、世間の人間と区別や差別をするわけではありません。

学会も世間も何一つ変わらないし、いえ、逆に、学会員であるから、世間の人間より汚い世界でもあるんです。

でも、世間は創価の一人ひとりを見るわけではなく、団体、組織として一括りに、いい意味でも、悪い意味でも、特別な人達と見るわけです。

だからこそ、世間(ネット)という公の場所で、創価を名乗り、創価学会に対する理解と共感を得たいのであれば、そこには、「一人ひとり」が厳しく、哲学に基づく責任ある行動が求められると感じます。

学会員であれば、批判や非難されて当たり前。厳しく切磋琢磨することに互いに謙虚に受け止められるのも私たちの根本である宗教哲学のなせる業ではないでしょうか?

創価を崩壊と破壊に導くのは、世間でもなんでもありません。創価は創価によって崩壊する。そのことを言いたいです。



> 私は創価学会員です。
> 「せめて、「名字の言」を転載するのなら、そこには、きちんと自身の信仰と哲学に基づく感想や意見を述べるべきであると感じる。」
> まったく私も同感です。自身の信仰と哲学に基づくことは難しいかもしれないあけど、感想や意見は必要だと思いました。
>
> ちなみに、私は創価学会が大好きです。いろんな人がいて、色々ありますが、私は何度も学会員に助けていただきました。
>
> 突然の書き込み、失礼しました。
2011-08-26 金  07:55:43 |  URL | バン #- [編集]
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