ふと思う、わたしの中の創価

いつか分かってくれる。

いつかきっと、この信仰の正しさがわかる時が来る。

母は、そんな言葉をよく言った。


でも、なぜ、その時にわからせてくれなかったの?

って思う。

小さい頃、私は知らずにこの信仰を授かった。

何も知らずに母の言われたとおりに、宗教活動を行っている組織の中に信者として入信させられた。

親達は、先祖代々の信仰を捨て、新興宗教といわれる団体をいくつも渡り歩き、現在の宗教組織にたどり着いた。

不思議な縁だね。

その宗教団体が、今、日本で最も大きな組織として存在している。

組織が大きくなるのには、それなりの理由がある。


幸せも、不幸もあった。

何も変わらなかった。

そんな風に思っていた。


知らずに受けた信仰に対して、恨んだりもした。

憎んだりもした。

組織の信仰の仮面をまとっただけの、大人たちの人間の汚さを見せつけられた。

人間が信じられなくなった。


人間を信じることの根本を知るための信仰になのに、人間を信じられなくなる宗教組織に入信させられる不幸。


これ以上のわたしの不幸はないではないだろうか。

私自身を呪ってみたりもした。


学会によって、何年もの間、わたしは苦しみ続けた。

でも、今は、その全ては過去。


わたしにとって創価は、好きでも嫌いでもない。

でも、思いは深い。

深くて、その思いは、互いの信仰というものなしに語ることはできない。


己の信仰とは、こんなものなんですよ。

なんて言うことを書けば書くほど、嘘になる。



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