心の師とはなるとも、心を師とせざれ

何か起こるたびに人間は、動じる。

心に不動の地位を築き上げることは可能かな?

一日、24時間。

一年、一生。

人間は、動じながら、流されながら、時には流れに乗りながら、心は定まることが無い。

心の奥底の生命には、確固たる哲学が存在する。

見える。

しかしながら、わたしの生命の奥底を映し出す心のスクリーンは、時として曇ったり、千切れたり、破れたり、汚れたりして、信念や一念が、そのまま映し出されることが無い。

何だろう。

動じない心。

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」

その通りだと思う。

しかし、その通り実行できる人間なんていなよね。

みんな自分の心に感じることを正しいと信じているんだから。

自分が正しいと信じなければ、自分の人生を生きる事なんて出来やしない。

その人間の生き方の浅さ。

人間が確かな哲学を持つことによって、己の人間の生き方の浅さを知る。

「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」

動じない心。



本因妙 | Trackback:(0) | Comments:(0) |-
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