創価学会はどこに行く?その哲学は根本は?

創価学会では、毎年、この時期になると財務と呼ばれる、広く流布すると書いて、「広布」部員の申込みというのがある。

この広布部員の申し込みというのは、あくまでも学会員であるということを前提にしている。

わたしは、現在、この地に越してきてようやく9か月ほどが過ぎようとしている。

わたしが感じる現在の創価学会という組織は、新聞紙上で書いてあることを読むのと、現実の今の暮らしと生活をしてる場所に住んでいる地域の創価学会という組織とは、かなりの相違があるといわざるをえない。

別に、愚痴や不満を言うわけではない。

これは、事実なのだから仕方がない。

今の学会の現実。

一番、身近な場所には、創価学会員はいるけど、創価の哲学の根本をそこに見ることが出来る人間がいない。

何なんのだろう?

新聞で書かれていることの信仰に関わる記事は、嘘や出鱈目の美辞麗句の嘘パッチなのかと思いたくなる。

現実と理想のギャップと、本当なのか、事実があるのかと、己の現実の先に映る、今の生活をしている地域の学会員の姿を見て落胆させられた。

創価の組織の中で「財務」という仕事には、信心などいらんのかいな?

創価学会という組織のために、金を徴収する財務というシステム。

根本から見直す必要があるね。

しかし、現実は金が無けりゃあ組織の運営は不可能だ。

一人ひとりの人間。

たった一人の人間のために、創価という看板を掲げることが出来る。

組織運営に携わる創価学会員は、己の哲学の根本の看板を取り外した組織活動に陥ってはならない。


上意下達のピラミッド組織に成り下がった、ただの巨大化した宗教活動団体には、信心の流れは絶たれているいな?

悲しいよ。

地区の●●長さんよ~!

地域の●●長さんよ~!

あんたらの創価の哲学と根本は、どこにある?

現実の今というこの瞬間、この場所になければ、創価が財務を求めるための「広布部員」と称するこの名目は何にも意味のないものになる。

「広布」となる「広宣流布」とは、理想でもなんでもない。

ただの妄想と幻想にすぎない。

創価という学会組織に関して、こんな感想を抱く結果になった、財務に関してもう少し詳しいことは、また、後で記事を書かせていただくことにします。


人生を確かに生きる哲学


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