悟りとは現実に対するあきらめの境地か?


人が人間を悟る。

悟りとは、現実に対するあきらめのを境地をさすのだろうか?

どこまでも人間の可能性を信じている者にとって、悟りというのはいつまでもやってはこない。

自己を確立し続けることの人生。

人間が神や仏になれるはずは無い

悟りを説く人間のあきらめの境地は、人間に対する未来の可能性をどこまでもあきらめずに追及する人間にとっては、何の価値も感じない。

人間が説教するあきらめの境地に達した悟りなんて悟りとは言わない。

人間の精神世界をどこまでも成長させ続けること。

その不可能を可能にすることこそ、人間が人間たる理由なんだ。

この世の現実を俯瞰して、あきらめの境地を集めた言葉を哲学風に語る。

人間は結局は、こんなものなんだ。

そんなところに、人間が人間たる理由を発見することはできない。

人間が、生きる意味。

人間が今を生きるのは何のため?

未来を生きるため。

勇気。

希望。

あきらめない勇気と希望。

人間が今を生きることに対する意味を無限の未来に対する可能性を信じない者の哲学など人間を否定するもの。

人間の可能性をどこまでも開く。

未来に灯りを灯し、未来を創る哲学。

ネガティブなものに対して、常にポジティブな発想で生きることの哲学。

人間が現実を生きる。

人が生まれる瞬間に、この世の人間となる。

その瞬間から人生が始まる。

未来がある。

今がある。

今を生きたことが過去になる。

人間の無限の可能性を人生の最後の瞬間まで見つめ続ける。

妙法。

桜梅桃李の人生。

今を生きる。



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