「盲信、洗脳の創価はひどいよ!最低だよ!」って言ってるの♪

わたしは、最近、「世界に一冊のメモ帳」である私の個人ブログで、創価学会員である「わたしが」、その創価の悪口をさんざん書いている。

自称、創価学会員と名乗るネットのユーザーさんも、まあ、かなり困惑したり、腹を立てたり、眉をひそめながらよんでいるかもしれない。


でも、わたしは、創価学会員である。


ここでは、わたしも、自称、創価学会員なのである。


自分が創価であるかなんだかなんてことを語る必要ないと思うんだけど。


創価とは、一人ひとりの人間が、己の人間を語ることが全てなんだ。


創価の名前のついたタイトルの個人のブログやHPを見ると、時として、嫌な気持ちになる。


創価の自慢話ばかりや会合の内容などを書くなら内輪でやってくれ!


組織の同志のアホなコミュニケーションをとるなら現場サイドでやってくれ!


聖教新聞と同じ美談ばかりをただ宣伝するだけなら、その役目は、ちゃんとリアルな新聞媒体がその役目を担っているよ。


聖教新聞に書かれてあることを、だた、コピーするだけの作業が、創価学会員だと勘違いするのはやめてくれ!


ブログにこんな記事を書くことって、かなりのエネルギーが必要。


あたりさわりのないところで、創価はみんなが家族同様なんですよ~~♪ みんなが人のため、世の中のため、社会のために役立つ人間として頑張っているんですよ~~♪


なんてことも出来るけど・・・。


しかし、現実はそうじゃあない。


いいことばかりがあるはずがない。


創価の中の哲学は、最高にもなるが、最低にもなる。


それは、その創価が根本とする哲学を、自らが体得できるか、できないかによる。


創価の価値は、受け取る一人の一人の人間によってダイヤモンドにも、石ころになるということ。


自称、創価学会員と名乗るネットウェブオーナーは、自らの組織を讃嘆し、そして宣揚する。

創価は正しい団体なのだ。

創価は正義の団体なのだ。


と連呼する。


組織に頼るな!


組織のただの宣伝活動家になるな!


創価の正しさを証明するものは、一人の人間の姿。


わたし自身しかいない。


創価の中の宝を大切にしたい。


わたしの中で、その宝の原石をさらに大きくしたいと思う。


「創価は、いよいよ更に、永遠なる生命の黄金城を建設する」


現実はどうだ?


組織は、大きくなり過ぎると必ず崩壊するんだ。

組織はいつかは、その役目を終え、新しい芽が、次々に生まれる。


組織はジャガイモ。


創価。


「種ジャガイモ」になり、創価の確かなDNAを引き継ぐ、たくさんの美味しいジャガイモをつくれ!


そして、最後には、朽ち果てる定め。


全ては、受け継ぐべき一人ひとりに託される。



今年の財務はしないと組織に、宣言した。

(以前に、書いた記事↓)
創価学会はどこに行く?その哲学は根本は?


わたしが現在、この地に引っ越してきたのは、昨年の暮れだった。


財務とは、創価学会の一年に一度、組織をあげての資金を集めるイベント。


イベントというのは、ちょっと違うかもしれない。


まあ、儀式みたいなもので、その意思表示によって創価の信仰のあるなしが問われることにもなる。

でも、本来、お金によって己の信仰をはかりにかけるようじゃあ、そんな組織とは、とっくに縁を切ってやる。

創価の中でも、そのあたりは、信仰心の浅い者や、深い者などいろいろある。

しかし、お金という財務によって信仰の有無を問うことなんてあってはならないというのが、この哲学。


しかし、学会組織は、お金という財務をすることによって、信仰の功徳に恵まれるんですよ。


とても、わかりにくく、まわりくどく説明する。


信仰心の無いものは、自分の信仰心の無さを悟られたくないから、自分の中ではっきり明確な意志の無いまま、お金という財務を支払う約束をする。

盲信。

盲信は、やがて、洗脳に変わる。

それが、自分の信仰心なんだと錯覚する。

これが、組織の為の人間を生み出す宗教の奴隷。

創価にいるよ。


なんだか、そんな人間ばかりになっちまったような気もするね。



で、話を戻すけど、昨年、引っ越しをしてきて、創価学会員としても、引っ越しという手続きがあり、組織内で移動も完了していた。


しかし、ながら引っ越し後、財務の申し込む手続きが始まる、今年の9月ごろまで、地域の創価学会員の担当幹部が顔を見せたことは、引っ越した後に、しばらくたった後の一度のみ。

本来なら、毎月の定期的な会合などの連絡などが行われることが定例であった。

これまで創価として所属してきた中では、そんなことが当たり前で、その人たちとの間でも、それなりの人間関係を保ってきた。

だから、創価は、創価学会員といわれる人達のことを、家族と呼んだり、同志と呼んだりする。

学会員一人ひとりを大切にする現場主義なんだ。

当たり前のことが、当たり前にできるのが創価なんだと思っていた。


でも、現実は違う。


だけど、わたしは、創価の組織の人間と連絡や近況などを話さなくても、、関わらなくても、現実生活すべてが、わたしの自己を確立させるための己の哲学に基づく闘いの場所なんだと感じていた。


だから、まあ、縁が無くてもそれなりに、やってるので気にしているわけではなかった。



しかし、


来た!


ココの地域の創価の奴は、来た!


しかも、何でこんな時に来るんだよ!


って言う時に、アホ面下げて。



下っ端の幹部じゃあなくて、中くらいの幹部かな?


まあ、正式には、きちんと幹部には、役職名があるんだけどね。


その中くらいの幹部が二人も来たよ。


そして、あろうことか!!!!



「今年の財務のお願いに来ました。」



『厚顔無恥』とは、まさにこのことを言うのかと思ったよ。



「一口、1万円です。」


「はぁ~~っ?・・????」



内心、開いた口が塞がらないと言う気持ち。



創価にとって大切な信仰対話より、金集めの連絡の方が大事かい!


しかも、いつもなら一人で来るくせに、今日は二人かい!


そして、執拗にお金の振り込みを約束する財務の申し込みを迫る。


(※また、通常、申し込みをすると、最終的な振り込みの確認まで2度、3度と足を運んでくるよ)



人間主義で、一人ひとりを大切にする現場主義に立つ組織。


人間対人間、この信仰に最も必要なのは、対話。

一人の人間の気持ちをどこまでも理解する。

人間の心の不可能を可能にするものは、対話。





こんなふうに、お前ら創価の大幹部は、偉そうにいっている奴らが話をしてるじゃあないか!



それなの、久しぶりに地域の創価の「中くらいの幹部が、訪問してきて、金集めの話をするんかい!


集金係なら、お前の創価のメインバンクの営業マンにでもやらせればどうだい!



そう思いながら、尚も、私の中の、開いた口が塞がらない。



わたしの中で、「ぶちッ!」と何かが切れた音がした。



惰性と怠慢。


いや、腐ってるかなとさえ思った。




そして、今年の財務を拒否することを宣言した。


悲しいよ。



地域の創価の人間に猛烈に抗議して、その後、しばらくして、この地域のアホ、中幹部は、辞めた。



だから、今、ここの創価は、大嫌いなんだよ!


ちなみに、この創価学会の財務の金額も気に入らない。


なんで、創価学会の財務の金額は、最低、一口、「1万円」からなのか?


組織を守るためだけの組織人間には、納得できる答えなど言えるはずがない。



1万円以下のお金に、功徳の価値は無いか!

1万円以下のはした金では、お金じゃあねえか?

1万円以下では、面倒くさいか!


「おい!創価!傲り高ぶるなよ!」





だけど、それでも、わたしは「創価」を誇りに思う。


一人の人間の存在のために。



絶対に、あきらめないよ!


また、次に。




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