「おいっ、創価!」仏法を理解するのに世間の常識はどうでもいい!?

最近の創価学会員の質の低下というのを痛感させられることが多い。

創価学会という看板を支える活動化とよばれる連中。

組織活動に携わることによって、自らの悩みや課題といった困難の克服、独立自尊の人生を歩むための一人の人間の中の確かな哲学の確立すること。

言い換えれば、一人の人間革命のために、絶対的不可欠な人の生命の中に確かな信仰信の確立のための信心活動。


創価の中の学会活動というのは、ただの組織活動ではない。


でも、最近の創価学会員のなかには、ダメ創価2世や、アホ3世などばかり?


こんな低落な奴ばかりが、名前だけの活動家と称して、役職や任務を与える。


「やらされている」という受け身意識バリバリの中途半端な活動化のお蔭で、迷惑するのは、これまで創価を支えて、草創期を戦ってきたお年寄り。


わたしの母もその一人だ。


そんな母が、今の創価という組織を嘆くようなことがあったよ。


創価学会では、毎月、全国規模で執り行われる幹部会と称するものがある。


この幹部会の様子を、地域のそれぞれの創価学会の会館で衛星放送中継される。


同時中継などと呼ばれ、略して、「同中」、「同継」などとも呼ばれる。


その「同中」に参加するために、母は、地域の婦人部の方が運転する車に乗せてもらって、会館に向かった。


会館には、付近に駐車場が用意されている。


創価学会の会館を警備するために任務についている学会員が、車の案内などを行っている。


わたしの母は、高齢者であり、現在、杖をついて歩行しており障害手帳を持っている。


また、私の母以外にも、歴史ある創価学会のこと、老人とよばれる人達も創価学会員の中には多い。


そんな障害を抱え痛い足を引きずりながらも杖をついて、車に乗せてもらって、会合に参加している。


母の信仰信の強さは、どこまでも創価に対しても純水である。


しかし、そんな母が、創価に対して、とても残念な思いをすることになった。



車で創価文化会館に到着した時のこと。


車で連れてきてくれた婦人部の方は、母が杖を付いていることを気遣ってくれて、会館の入口から一番近いところに止めておろしてあげようとして、車を止めたところ、会館の警備にあたっていた創価学会員は、言った。



「そこに車を止めてもらっては困ります。」


「人が通れなくなります。」


「もっと奥のガレージまで動かしてください」



そんなふうに言われたそうだ。


しかし、通行の妨げになるとはいっても、通行できないわけではない。 しかも、ほんのわずかの乗降の間だけだ。

しかも、当たり前の常識のある人間なら、そんなところに止めることには、意味がある。


障害を抱えた人が、歩行することはとても危険が伴う。


だからこそ、最短距離で、一番安全な場所でおろしてあげようとしているのに、会館の警備をしている創価学会員は、障害のある人であることなど関係なしに、邪魔者扱い。


仕方なく、遠く離れた駐車場に車を移動させらた後、母は、杖をついて歩いて会館までなんとかたどり着いた。



「おい!」


「創価の馬鹿学会員!」


「お前、おかしいよ!」


お前らの哲学なんて、一体、何なんだ?



世間の常識でさえ、わかるはずのことを、創価の常識には、ほんの少しの気配りも出来んのかい!


情けないよ!



そんな創価に人間的な魅力なんて、どこにあるんだよ。



非人間的な組織の中で、ひとりひとりの幸せを説く宗教なんて成立しない。


似非宗教人間を育てる創価なんて創価じゃあないよね。


ただ、存続するためにのみ存在する創価なら、もう早くつぶれてお終いなさい。


もう、創価なんて創価じゃあないよ。




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