病膏肓に入る:「変人」の領域を越えた「神」を「ゴミ」(塵)と呼ぶ


自分だけの偏った見方や狭い考えを「我見」という。

人間は、「神」になれるという。

人間は完全な創造物なんだという。

私利私欲を捨て、「我欲」に囚われず、執着せず、「無我の境地」を開きなさいと説教を垂れながら、自分自身に洗脳された思想の「我見」に執着する。

完全な創造物であるというはずの人間の、不完全な矛盾。

世間という中で、人間が生きる。

その中で、他者という存在を尊重できず、謙虚に学ばず、理解をしようとせず、自説のみが正しいと意固地になる。

人間の社会の中で、自説と他説の意見の調整や折り合いを付ける事さえできなくなる。

他者を否定する。

かたくなな様子。

人間がより人間らしく生きることから遠ざかる。

これを「我見」とは言うなり。

まあ、こうなると当然、人間社会の中から鼻つまみ者として、多くの人間が相手にしなくなる。

「病膏肓に入る」は、「やまいこうこうにいる」と読む。

なんだか難しいね。

簡単に言うと「救いがたい馬鹿」ということになるね。

人間は、神にも悪魔にもなれる。

確かにそう思う。

でも、神と悪魔とは、全く別な存在なのだろうか?

意固地な「変人」の領域を越えた「神」。

それこそ、「悪魔」と呼ぶにふさわしい。

「おれは神だ」という人間こそ、「悪魔の本性を現した人間の姿」だろう。

そんな「悪魔」と呼ばれる人間のことを、「煮ても焼いても食えないろくでなし」という。

病膏肓に入る「変人」の領域を越えた「神」は、「(カミ)」とは読まない。

「ゴミ:ごみ(塵)」と呼ぶ 。



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