今を生きている人間の「涙」と「笑顔」の価値と意味

「死ぬまで二度と笑うなって言われたことを、もう、忘れて!」


「これからは、楽しい時や嬉しい時は私達と一緒に笑ってくれないかな?」


「それは、無理です。」


「どしてもとおっしゃるなら、お暇を頂きます。」


「お母さんになって!」




「承知しました。」



・・・・・





「家政婦のミタ(日テレ系)」の第十話(息子よ、夫よ、お願い...私も天国に連れて行って!) からのドラマのセリフの一部。

来週の12月21日(水曜日)が最終回。


松島菜々子演じる家政婦の三田 灯(みた あかり)。


心を映し出す感情を表すことのないまるで能面のような表情。


瞬きをしない見開いたままの彼女の瞳には、目の前の現実は映っていない。


彼女が十字架として背負深く、重たい荷物。


「自分の意志で動くと、周りが不幸になる」と自分で自分を呪い続ける。


「決して、死ぬまで笑わないで!」


わたしの笑顔は、愛する人を不幸にする。



優しくなりたい。

自分だけじゃ寂しい。

強くなりたい!

優しくなりたい!

「家政婦のミタ」の主題歌「やさしくなりたい」より








わたしが、子供の頃に、覚えたお世辞。


わたしが、子供の頃に、覚えた作り笑い。


不幸な家庭の中で、本当の笑顔なんて生まれるはずは無い。


そんなわたしの過去。



「わたしの家族には、障害者がいるから、自分は人より幸せになることはできない。」


小学生の子供の頃に、口から出た言葉は、大人になった今でも、記憶の中から離れずに、現実生活の意識の中で現れては、わたしの心を苦しめる。


家族の不幸が原因なんだ。


家族が不幸だったから、わたしが不幸だった。


結局は、その言葉は、わたし自身への呪いの言葉であった。


わたしの人生には、本当の幸せというものを与えられることは無かった。


目に見える物だけの世界の幸せに見せるための道具は、たくさん揃えることが出来た。


お金だって必要十分。


わたしには、お金が十分であり、お金を求めることが、心の満足を得られることだと、当たり前に、そのことのみに執着した。

信じられる本当に大切なものを信じることが出来なくなった人間にとって、信じられるものは、この世の目に見える物しか、心には映らなくなる。


心に映るんじゃあない。


己の生命につながる「心」という回路を切り離し、「脳味噌」という思考回路の中の損得勘定で生きる。



要するに、パソコンに毛の生えたような程度の人間に成り下がる。


わたしの幸せは、無かった。


両親が互いの愛情の無い家庭。


家族に障害者のいる家庭。



両親の顔色ばかりを窺い続けて、世間体というものばかりを気にする。



そんな不幸な人間には、心の中で引きつらせながら、笑顔の作り笑いが上手。



大人になっても、本当の笑顔になれない大人の気持ち。


過去を断ち切ることは、不可能。


所詮、人間なんて気の持ちよう、気持ちの切り替え方次第なんて、アホなことを延々と語る馬鹿がいる。


気持ちを切り替える事だけで、過去を断ち切ることなんて出来るのなら、人間がこの世を生きる意味を知ることなんて、一分もあれば今の時代は事足りる。


過去と現在と未来。


人間が生きることの現実は、一人の人間の過去と現在と未来の人生


生まれては死んで、生まれては死んでを繰り返してきた、地球上の人間の歴史。



人間に生まれて、生きることの意味。



わたしは、そのことの意味を、生きてきた過去の多くの失敗から学んだ。



今を生きている人間のその瞬間(とき)の「涙」と「笑顔」の意味。





「あなたは、今、わかろうとしているの」

「人間らしさを取り戻そうとしている」

「いま、現実にみえる家族のお蔭で」


・・・・




ドラマのなかの家政婦の「ミタ」に対する台詞が印象的だった。



最終回、ミタさんは、本当の笑顔を取り戻せることが出来のかしら?




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