長く人生を生きた「年寄り(人間)」の最後に待ち受けるものとは?

人間の寿命はあまりにも長すぎる。


長く生きながらえていても、家族や社会、世の中に迷惑かけるばかりだ。


働くこともできず、ただ、毎日をロボットのように生き続けることのために、一生、病院へ通う。


死ぬまで薬を飲み続ける。


死ぬまで、週三回、半日を費やして人工透析のためにクリニックへ通う。


生きる事は、なんなんだろう。


人間生きて50年。


その時代に比べれば、平均寿命は、80歳。


あまりにも長すぎる。


あまりにも長く人生を生きた老人、年寄り、高齢者達。


長寿社会。


未曾有の超高齢社会は、幸せな世の中か?


何のために、病苦にまみれながら、長い人生を生き続けるのだろう。


人間は、死ぬまで生きなければならない。


死という瞬間が訪れるまで、自らの命で生きなければならない。


いっそのこと、死ねたらどんなに楽だろう。


もういいよ。


世の中、社会、家族の厄介者になって、他人に自分の尻を拭いてもらうようなお荷物になって、それでもなお、生きなければならないのなら、安楽死させてよ。


殺してくれていいよ。


お年寄り、老人がこれからさらに増える。


あまりにも長く人生を生きた老人達の超高齢化社会。


これからを生きなければならない世代が抱えるお荷物。


わたしが、介護という世界でミタ、人生を長く生きた大先輩である老人という言葉で一括りにされる人間達。



「人間、長く生きても、結局、こんなもん?」


長く生きてきた人間の最後に待ち受けるものとは、



「今を生きる」ということの結末。



今が、「地獄」か「天国」か?


地獄や天国は、あの世にあるものではない。


今を生きるこの現実にある。


生きることから遠ざかる、人生をあまりにも長く生きた老人たちの地獄と天国。


現実。


わたしもそこに向かって今を生きている。


「今を生きる」



そこに確かな哲学を求め続ける。




人間の寿命はあまりに長すぎる。



しかし、今を生きるために与えられた人間の寿命には、意味がある。


確かな価値がある。



どこまでも人間の価値を創造する。


どんな人間にも価値を求める。


わたしは、その「確かな哲学」が、【創価】の中にあると信じたい。




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