人間の中身とは、現実を生きる過程で練り上げられていく


人間の中身とは、現実を生きる過程で練り上げられていく

中身とはどのようにして作られるのだろうか?

人間の中身とは、シュークリームのカスタード、餡子。

そのあんこの中身は、職人の熟練した長年の技の集大成みたいなものであろう。

何度も何度も失敗して、研究して、縦と横の比較をして、己の舌、感性を磨いて更によいものを作る。

しかし、その良いものを求めるという、高めるというその心、生命力、モチベーションはどこから生まれるのであろうか?

どこから溢れ続けるのだろうか?

己の中のあんこを練り上げ、一つの求める到達点へ向かう、完成という結果へ辿りつく道程。

それは、与える為。

美味しいものを食べてもらう為。

その職人の課せられた使命のほとばしりなのかも知れない。

世の中、与える者と与えられる者。

それは、その人間が生きていく過程によって、移り変わる。

高いものを常に求める人間は、与えられるものから、ただ受け取るものという未熟な存在から、与えることの出来る人間への成長という気づきの連続によって、あんこの中身を練り上げ、作り上げていくことが出来る。

でも、世の中の人間は、どうだろう?

シュークリームの外の側だけばかりに踊らされ、中身の味を確かめもせずに、騙されている人生を生きて終える人間がいかに多いか!

現実に起こる悲しい事件や出来事は、そのような、人としての中身を作ってこなかった人間達の原因と結果を象徴的に映し出していないでしょうか?

作られた、ごまかしだけの人生ではダメ。

受け取る人生から、与えることの出来る人生は、人間には生きていることの出来る賞味期限、消費期限は、有限なのだ。

生きることの意味に気がつける人は、幸せ。

生きることの上で中身とは何かを研究し、考え、知ることは、大切。

人生の後半になって、中身の無いものが、与えなければならない時になって、与えるものの無いことに気がつくことの情けなさと愚かな過去の人生を振り返る時の空しさ。

そんな人に出来ることは、人を誉める、人を誉めること。己の人間としての空っぽさは、人を誉めるべきところをみつけることによって、埋めることが出来るであろう。

己の中身の無さを、嘆くのであれば、人の中身を誉めればよい。

その時に、気がつけることがやって来る。

建設は死闘、破壊は一瞬。

小手先の策や方法に溺れる。

時間をかけて積み上げてきたものが、一瞬にして崩れ去る。

なんて人間は愚かなんだろう。

小異を捨てて大同につく。

過去をしっかりと省みて、しっかりと未来を見つめて、現実を判断する。

建設の為の死闘を決して無駄にしてはならない。

人間と人間。

歴史は繰り返す。

桜梅桃李。

今を生きる。



人間 | Trackback:(0) | Comments:(1) |-
コメント
 それにしても米子の暴力団、大同会は健在かのう。
2015-08-09 日  19:18:55 |  URL | じじぃ #- [編集]
コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


Copyright © 桜梅桃李・世界に一冊のメモ帳 All Rights Reserved. Powered By FC2. 
skin:桜梅桃李:今を確かに生きるヒント