父との約束「桜梅桃李」を生きる


お彼岸に、父のお墓詣り行った。

もう、すぐ父の一周忌。

会合の席上、信仰体験をお願いされた。

かと言って特別な信仰体験というものはない。

でも、父が亡くなって、そろそろ一周忌を迎えるにあたり、これまでを振り返るとても良い機会だと思い、快く承諾させて頂きました。

その内容をメモとしてのこしておきたいと思います。

【父との約束「桜梅桃李」を生きる】

梅、桃の花が咲き、桜も開花し始めた。

満開の桜もすぐ。

「桜梅桃李」

桜(さくら)、梅(うめ)、桃(もも)、李(すもも)の4つの文字を合わせた言葉。

それぞれの花を咲かせる絶対的な個性を意味する言葉。

それは、どんな人にもその人でなければ、発揮できない素晴らしい個性と役割、使命があるということを例えたもの。

この言葉は、今は亡き、父の遺言であり、父と私の約束。

先日の聖教新聞、「随筆 我らの勝利の大道(だいどう)」に掲載されていた「前進!希望の春へ」

から内容の一部を抜粋。


一切の勝利は祈りから。

南無妙法蓮華経と唱うるものは、「我が身宝塔にして我が身又、多宝塔如来(たほうにょうらい)なり」

人間は誰しも、「自分」から逃げるわけにはいかない。

どこまで行っても、自分は自分である。

この自らの生命をそのまま磨いて、最も荘厳な宝塔と輝かせ、最も尊極なる仏の力を湧現していけるのが、妙法の題目の音声(おんじょう)である。

人生の険しい道を勝ち進んでいく為には、いかなる困難にも負けない自身へ、強く成長し、境涯を広々と開いていく以外にない。

そして勇気を、知恵を湧き出だして誠実に行動することだ。

人間革命とは、自分のいる「その場所」から始まる。



と書かれていた。

御書に曰く、

「此の御本尊、全く余所に求むる事なかれ」

「南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」とある。

人間の最高の生命を引き出せる究極の哲学である妙法。

父との約束である「桜梅桃李」を「私自身のままで」最高に生き切ることの出来る信仰。

「願兼於業」

自ら望んで生まれてきた。

「衆生所有楽」

私は楽しむためにこの世に生まれてきた。

この姿と生命を望んで生まれてきたのだ。

妙法を根底にした人間革命の思想。

仏法を根幹とする妙法哲学によって得た信心。

現在の私が「今を生きる」ための根本にあるものは、この妙法哲学であり、南無妙法蓮華経の題目。

過去の数年間、生きることの全てにおいて、とても苦しく人生のどん底にあった。

しかし、どん底で、自らの信仰に目覚めることが出来た。

そして、今、生きることの全てが苦しかった肉体と精神の「死の淵」、そのどん底から這い上がり、2度目の人生を与えられたという思いで生きている。

「人生の病根は傲の一字」という言葉。

傲とは、「傲慢」。

大切な人への「報恩と感謝」を忘れ、謙虚さを失った人間の「傲慢さ」こそ人生を破壊に導く病の根源。

苦しかった私の過去の「生と死」のどん底で、知った自身の中の病根。

それが傲慢である。

自身の宿業の深さを痛感する日々に、現実を生きている自分は、今どこにあるのかということをを問い続けてきた。

そして、生きることのどん底で見つけた確かな灯り。

創価によって授かったこの信仰を、人生のどん底で、やっと自らの信心として、そのあかりを生命に灯すことが出来た。

まだ、まだ、毎日の現実は、厳しく乗り越えなけれならないハードルだらけの生活である。

しかし、自身の境涯革命の為に、妙法という確かな哲学に基づき、現実を生きることの毎日でもある。

父は、昨年5月、享年80歳で亡くなった。

間もなく父の一周忌を迎えようとしている。

父は、まじめで、口数が少なく、おとなしい人でしたが、人前ではいつもにこやかで笑顔を絶やさない人でだった。

父の好きな言葉であった「桜梅桃李」は、私が「今を生きる」父との約束であり、誓いでもある。

晩年、亡くなるまでの父の信仰者として姿は、とても立派だった。

父に信仰の上で私が、意見をした時に、父は、絶対に「学会」から離れてはこの信心はないんだよということを常々語っていた。

聖教新聞の毎日読了を始め、御書の3度の全編読破、組織においてはブロック長をつとめ、学会活動に熱心に取り組み、地域活動へも積極的に参加していました。

父が二度目の脳溢血で倒れたのは、去年の新年が明けて間もない1月14日だった。

一度目の脳溢血では、後遺症も無く完治することが出来た。

しかし、1年半年後、再び、脳溢血で倒れた。

今度は、脳幹部からの出血によるものでとても重篤なものだった。

自力での呼吸もままならない意識不明の状態。

どうして?

どうして?

なぜ?

その時、頭の中で湧いてくるのはその言葉ばかり。

その日を境に父の2度目の闘病生活が始まった。

脳溢血で倒れた父の131日間の闘病生活は、最後の最後まであきらめずに、懸命に自分の命を懸けて戦い抜いた131日間。

父にとってどんなに辛くて苦しい戦いであったろう。

そして、父と私たち家族にとってのひとりひとりの信仰をかけた信心の闘い。

父が懸命に病と闘っている姿から、精一杯「今の私にできる」ことを祈る。

毎日、病室に通い、父の奇跡を信じた。

懸命に命を懸けて戦っているその生命力を信じた。

父の姿から今を懸命に生きる事に対する勇気をもらい続けた。

父は、最後の最後まで戦い抜いた。

脳幹出血という無意識の中で、父の自らの命をかけた131日間の戦いに、信仰者のして生き様、証を見ることがでた。

臨終の日、父の危篤の知らせを受けたその時。

病院に先に駆けつけた姉から、なんども私の携帯に連絡が入った。

わたしが、仕事場から父の病室にかけつけるまでの間、、2度、呼吸が止まったと後で母から聞いた。

しかし、不思議にそのあとまた、呼吸が戻ったという。

わたしは、ただ必死で病院へ向かいました。

危篤の知らせを受けて、私が病室に駆けつけるまで父は最後の命の炎を燃やし続けてくれた。

そして、病院へ駆けつけたその直後 父は息を引き取った。

「父は私が来るのを待って入れくれたのだ」とそう感じた。

静かに息を引き取った父の顔は、とても安らかだった。

131日間を命を燃やし続け懸命の戦い抜いた父。

にこやかな笑顔を見せる父の遺影は、とても誇らしげに映り、残された私たち家族に、毎日「頑張れよ」のエールと勇気を与えてくれる。

今、信仰者として強く生き切った、父を誇らしく感じる。

亡き父への「報恩と感謝」を忘れず、残され家族が力を合わせて生きていくことを誓う。


祈り

それは、あきらめない勇気だ。

自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ!

現状は変えられる!

必ず!

確信の命の底に刻む作業だ。


祈り

それは恐怖の破壊なのだ。

悲哀の追放なのだ。

運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。

自らを信じよ!

卑下するなかれ!

卑下は仏法への違背だ。

胸中の仏界への冒涜だからだ。

祈り。

それは、我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。

宇宙に包み込まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ。




真剣な祈りとは、一念であり執念。

現実をあきらめない勇気だと感じる。

私の中の不可能を可能にすることが出来る仏の生命がある。

今を生きることの全てがこの妙法にある。

全ては、題目にあるのだというのが、私が私らしく、父との約束である「桜梅桃李」を生きるための根本。

父のお墓は、交野にある関西創価学園の麓にある。

父が眠るその墓石には、「桜梅桃李」の4文字が刻まれている。

自分らしさの最上級を生きるための私と父との約束。

「桜梅桃李」

所願満足の人生の為に、感謝と報恩を忘れずに「今を生きる」ことを実践していきたいと思う。



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