禁断の果実から人間は不完全に作られた


何かにつけて、スポーツや学習など、己の能力を高めようと自分の限界に挑戦するということは、

生きていく上で誰でも、1度や2度はならずとも、様々な、場面で経験するものだと思います。

思い出しませんか?

受験の勉強や、検定試験など、立ち向かう現実のハードルに挑戦しようとする時、

・・・要するに自分のもっとも苦手とする「穴」。

その己の「穴」を埋める努力。

一歩、広い地点から眺めてみると、生きることの基本が、将にこのことに集約されているようにも感じます。

でも私は、この「穴」を埋める努力と作業が、己を完成に近づける作業だということを、「本当に大切な努力として心に刻んできたのかなあ?」と感じます。

「成功」と「失敗」

人生の「順風満帆」に生きていくことの反対の「挫折」。

子供は、本当に純粋です。

そりゃ、少しくらいは、ひねた?と思える子供もいるでしょう。

私みたいに・・・。

でも私だって、馬鹿な子供の頃、数少ない経験の中でも、一つくらい一生懸命にとりくんで、褒めてもらったことは、記憶の中にあります。

誰でも、そんな記憶として、生きる上での大切なことは、大方子供の頃に全てを経験しているし、知識としてそんなことは当たり前のようにわかっているはず。

「一生懸命努力することの大切さ」

それは、本来、「己の能力との限界との勝負」

そこから更に進んで、「己の限界を決めている弱い、己との戦い」

「一生懸命努力」することは、「己の限界を決めている弱い己との戦い」

それが、人生を幸せに生きる為の本質的になるのではないかと思います。

「エホバの証人」の方によれば、

人間というものは不完全な生き物として神が与えたものだそうです。

禁断の果実(お調べ下さい):http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja
          
わたしは、人間の不完全性については、

確かにそうだと思います。

まあ、そうだと思います。

えっ?そうなの。

ふ~ん。

そんなことありません、私は完全主義。

もう、そんなことどうでもいいかも。

そんなん、知らない。。

そんなの関係ねえ♪

「ム・ム・・・・。」

人が、「幸せに生きる」その分かれ道は、生きていくその時その時、いつでも用意されているのだと思います。

でも、人間は「不完全」だから、忘れちゃうんですね。

その不完全の「穴」を埋める大切なものを心の「引き出し」の奥にしまってませんか?



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