魔は一瞬、組織の崩壊も一瞬


学会の会合に、出席する機会がありました。

席上、幹部の言葉の中で、「会合の掛け持ちが多く忙しくて題目を唱える時間が無い。」という、話の一部にこのような発言がありました。

人の表面的な言葉尻だけををとらえて、記事を書くのも少し気がとがめるのですが、その時、素直に感じたことです。

「そうか、会合に出ると、題目があがらなくなるんだー?」と。

でも、私は、本来、役職を受けたり、会合に出たりするのは、自身の境涯を高めるためのものに過ぎないと思っています。

役職を全うし自己を犠牲にすることで、己を高め、会合に出て、更に力を得て、自己の信仰心を高めるきっかけを見つけたり、作るためのものと言う風に感じているのですが・・・。


なのに、幹部の発言のように、「会合に出て、題目があがらない」こんな発言に、私の中で、信仰者としてとても矛盾を感じました。

己の生命の境涯を、命の底から高めてくれる唯一の妙法を求める信仰。

己のなかにある信仰心に刻める機会を無駄にしている。

会合なら、仏法活動なら、選挙活動なら、一生懸命やっていたら、題目の大切さは、その次になるのでしょうか?

いいえ、私は絶対に違うと思います。

そんな、単なる自己犠牲は、己を「歯車」に変えていく行為であり、将に己の弱さと宿命との戦いに負けていることを知らずに暴露していることに他ならないのだと思います。

信仰者にとって己の宝石を磨くための「題目」、己の生命に刻み込む大切な題目を、疎かに考えているような発言を幹部の口から聞くこに大きな疑問を感じました。

そして、一番大事なことは、そのことを、許されるかのごとき発言に気付かずに、

聞く方でさえ、「幹部は忙しいから仕方がないわね」という、組織の、「なあなあ的」な体質さえ感じるられようでは、とても、組織の枝葉的な存在に力の無さに多少の危機感を感じるのでした。

内部から見てきたものの信仰者の姿と、内部にいて外から眺めてきたものの学会という現在の本当のニュートラルな目で見た姿。
と言うものの温度差に近いものを感じました。

この人達は、学会と言う組織の中で、何かしら一般社会と変らぬ、歯車的な意識で、組織活動をしている間に、本来のもっとも大切な、信仰者に必要な信仰心を疎かにしているのではないかと感じました。

目的と手段が、本末転倒しかねないような発言を聞くことに、大きな組織に成長し、その人間がいる組織の中で長年の垢が、その組織の腐敗する原因となるならば、たとえ正しい信仰団体であったとしても、そこに人間がいる組織ならば、そのたまった垢を取り除かねば、必ず、組織は内なる要因によって、分裂、崩壊への道を辿るのだろうと思います。

魔は一瞬。

組織の崩壊も一瞬。

妙法の哲学に完全はあっても、人間の集まる組織に、絶対に完全はありえない。

と私の、好き勝手で少し心配に思う今の、学会の組織に、お聞きしたい点です。



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