心が「無」になると生きることが楽しくなる

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宗教は人間を救うことは出来ないのだ。

宗教を信じることによって、人が救われるのではない。

人として死んでゆくのか?

人間として死んでゆくのか?

人を信じようとすれば、まず、わたし自身を信じきることが必要だ。

私自身を信じきることを可能にするもの。

人間が生きることに、一つの答えを出すことなどできないのだ。

人間の生き方に道理があるのと同様に、人の心にも道理がある。

人の心は自由でもあるが、不自由でもある。

自己確立って何だろう?

自分が自分であることを知るためのアイデンティティーの確立?

自分って何だろう?

自分っていう存在はどこにある?

わたしという人間の体は存在はしているけれど、わたしという人間を動かしている存在は、どこにあるのだろう?

どこにあるのかわからない自分の存在を確立させる。

自分などどこにもないのかもしれない。

自分がどこにもない状態。

心の中が空っぽになる。

「無」。

空っぽではない。

「無」なんだ。

無色透明で「そこ」には何もない。

何もないのに、「そこ」って言う場所があるのもおかしい。

でも、心を無にすると生きることが楽になる。

心を無にすると無駄に悩んでいたことが意味の無いことだとわかる。

「無」っていうのは、素晴らしい。

それは、現実の今という瞬間を最も自分らしく桜梅桃李に生きることが可能となるから。

わたしという存在が持つ、これまで不可能にしてきた可能性の扉を開けることが出来るから。

無になることの喜び。

「無になれる」ことの不思議。

人生の灯りが更に大きく灯る。

「無」こそ、自己確立された自身という存在なのだ。

何もない自分こそが、桜梅桃李を生きることを可能する自分そのものなのだ。

妙法。

身近な人ほど、人間を理解することが難しいのではないだろうか?

父という人。

亡くなって今は、もういない。

父を理解したかった。

それは、私という存在の意味を知る為。

桜梅桃李。

今を生きる。


桜梅桃李

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